悔悟者の巡礼を振り返るSTORY AMV(MAD動画)を公開しました(Viva La Vida)【ブラスフェマス】

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この記事ではブログ筆者が作成したブラスフェマスのSTORY AMV(MAD動画)(使用楽曲:VIVA LA VIDA)について、制作の動機や実際の埋め込み動画を掲載し、動画内で意図していた構成・ネタなどについて解説しています。よろしければご覧ください!

MADのサムネ 悔悟者と相対するエスクリバー(Viva la vida )【ブラスフェマス】

はじめに(制作の動機など)

まずはじめに、このMAD動画制作に至った背景ですが、こちらは完全に個人的な「趣味」に依るところが大きいです(このブログ自体もそうですが…)。つまるところ、自分が大好きな音楽(VIVA LA VIDA)と大好きなゲーム(ブラスフェマス)を掛け合わせた作品を作ってみたいという思いがすべての発端です。

もともと、VIVA LA VIDAの重厚な叙事詩的雰囲気と、ブラスフェマスの壮大な巡礼のストーリーは、両者を通底する宗教的に荘厳な雰囲気も相まって、自分の中ではとても親和性が高く、ブラスフェマスをプレイしているときの「(個人的)隠れメインテーマ」としてVIVA LA VIDAを(心の中で)再生していることもありました。

そんな折、本ブログも攻略ポイントの解説や、プレイ中に撮影できた「小ネタ」を紹介するための記事埋め込み用の動画などを専用のYoutubeチャンネルに徐々にアップロードするようになり、簡単に動画を編集する環境を内部的に整えたりしているうち、なぜだかVIVA LA VIDAの演奏とブラスフェマスの映像のイメージが頭の中で止まらなくなってしまったのです。この興奮状態のままでは実生活に支障をきたしそうだという感覚があり、それを克服するためにはAMV(MAD)として形にしなければならないという衝動――ある種の「天啓」に駆られて勢いで作り上げた…というのが実際のところです。

【Story AMV】Viva La Vida × Blasphemous

以下は実際に制作したMAD動画の埋め込みです。

※本動画は『Blasphemous(ブラスフェマス)』物語終盤およびエンディングまでの重大なネタバレを含みます。未クリアの方はご注意ください。(Warning: Contains major spoilers for the end of Blasphemous.)

■ クレジット・権利表記

Music: "Viva La Vida" – Coldplay 
Game: Blasphemous © The Game Kitchen / Team17  

本動画はファンメイドの非商用作品です。
音楽およびゲームに関する著作権は、各権利所有者に帰属します。

※本記事および埋め込み動画は、作品の魅力を紹介・考察する目的で掲載しています。
※動画で用いた映像はすべてブログ筆者が実際にゲームをプレイして録画した素材を使用しています。

動画シーン(ネタ)の解説

この項目では、MAD動画の構成や編集シーンで意図していた内容について解説しています。

全体の構成

まずMAD動画の全体の構成としては、基本的にブラスフェマスのメインストーリーの流れを追う形となっています。

序盤(最初の間奏まで)は「エンディングB:無価値なる者の道」へ至るまでの道筋、中盤(2回目のサビまで)は、一周目クリア後の「NG+:真なる苦悶」モードに加えて「エンディングA:信ずる者の道」へ至るまでの道筋、最終的には「真エンド:黄昏の創傷」への終幕に至るという構成です。Viva La Vidaの邦訳「美しき生命」が、悔悟者の贖罪に捧げた

悔悟者の贖罪の巡礼の繰り返しと積み重ねが「奇蹟」の物語の最高潮のフィナーレに結実していくメインストーリーの魅力を表現することを目指しました。本ブログでは、実際のゲームプレイで各エンディングを網羅するための攻略チャート(全五回)もございますので、未クリアの方は是非ご自身の目でそれぞれの結末をご確認ください!

サムネイルについて

本記事トップにも掲載したサムネイル画像は、MAD本体動画内からの切り抜きではなく、ブラスフェマスのメインメニュー画面「Blasphemous」と「闘争と荒廃」を素材としています。これは、主人公である悔悟者とメインストーリーのラスボスである聖下 エスクリバーの対立・対比がブラスフェマスの「奇蹟」に関する物語の主たる象徴であると考えたからです。

VIVA LA VIDAの「王の没落」というテーマをブラスフェマス的にパラフレーズすると、「災厄なりし奇蹟の没落」の物語として解釈できるのではないかと考えました。すなわち、歌詞における「私」(I)は「奇蹟」であり、クヴストディアという世界を舞台とした葛藤を歌い上げているのだ…という視点です。「奇蹟」というのは確固たる個ではなく、どちらかといえば人々の信仰に連関した「現象」に近いものでありますから、時にその「私」は悔悟者であり、聖下 エスクリバーであり、「歪んだ者」(父なる神)であり、「天の意志」でもあるわけです。

この中で、クヴストディアの信仰の権威的中心である聖母教会の教皇聖下 エスクリバーは世界の「王」であり、災厄なりし奇蹟の継承者・守護者たる「奇蹟の末子」であります。すなわち、没落しつつある王、奇蹟の象徴です。

いっぽう、我らが悔悟者は最初の奇蹟をその身に宿した「歪んだ者」を象った懺悔の剣を手に、災厄なりし奇蹟の産物を「冒涜」する使命をもった、「奇蹟の没落に対して引導を渡す」担い手であり、災厄なりし奇蹟からクヴストディアの人々を解放する「救世主」(新たな王)の象徴でもあります。

この2者の対比は、MAD動画の

"Now the old king is dead! Long live the king!"
「今や老王は没した! 新しき王よ万歳!」

という箇所でも表現していますし、彼らの戦いのシーンは動画内で何度も意識的に配置しています。

共通部分について

VIVA LA VIDAのサビのなかでも最もかっこいいフレーズ、

Be my mirror, my sword and shield 
我が鏡となり、剣となり、盾となれ

のシーンでは共通して意図的に拘束の苦悶 クリサンタの映像を配置しています。

クリサンタもまた、悔悟者にとっては対比的な存在です。「沈黙」の贖罪を実践する悔悟者に対して、目を覆う「盲目的」な鋼の信仰心を持ち、基本的には聖母教会やエスクリバーを守るための聖別軍として悔悟者と敵対するライバル――「鏡」のようなキャラなのです。悔悟者と同じように、ボス戦におけるクリサンタは、手にした「剣」を攻撃のためだけではなく、防御のための「盾」として用います。

クリサンタが悔悟者と対立軸にある強敵であることは確かであるいっぽう、真エンドルートを辿っていくことで彼女の立ち位置・物語における役割も変化し、最終的には悔悟者にとっての「鏡となり、剣となり、盾となった」という変遷をリフレインの中で表現することを意図しています。

序盤(「エンディングB:無価値なる者の道」)まで

I used to roll the dice
かつて私がサイコロを振ると 

上記のフレーズでは、六つの痛みの淑女と最初に出会った時のムービーを挿入しています。

これは、サイコロが通常「六面体」であることと、「六つの痛み」の数字が一致していることに掛けた、いささか洒落めいた配置となっています。ただ、サイコロを振る=後戻りのできない運命を開始するという意味とすると、「痛み」を手にするシーンは、巡礼を進めていくことで待ち受ける不可避の「苦痛」を受け入れていくという決意を表現したものであるともいえます。

One minute I held the key
束の間に私は鍵を握っていた

上記のフレーズでは、聖別軍 エズドラスが登場するカットを挿入しています。

これは続く三試練の橋の門が開くシーンと関連して、エズドラスがボスとして立ちはだかることを象徴するものであると同時に、真エンドルートでキーアイテムとなる「歪んだ樹より育ちし鍵」を彼が所有していることを暗示しているものです。

Once you're gone there was never
お前がいなくなってからは、何一つなかった

というサビのフレーズでエズドラスペルペチュアの偽物に始末されてしまうのも、愛する妹を失った兄の狂気の悲劇的な結末への悲哀を意図したものとなっています。

中盤(「エンディングA:信ずる者の道」)まで

2回目のサビの

My missionaries in a foreign field
異邦の地へと赴く宣教徒となれ
の部分では、ブラスフェマスにとっての「異邦」を表現するカットを挿入しています。

ひとつめは海原の悲嘆に登場するミリアムに導かれる悔悟者のシーン。ミリアムBloodstained(ブラッドステインド)というゲームのメインキャラクターの女性で、同ゲームとのコラボパートで登場します。

ふたつめは眠れる画廊の隠し部屋に配置されたイースターエッグの絵画たちです。これらの絵画は、それぞれブラスフェマスとは異なるインディーズゲーム作品(主としてスペイン)に関するイメージとなっています。具体的な作品名・元ネタについては下記の記事でも解説しています。

みっつめは冒涜の貯水路に隠された「レトロゲーム風の2Dブラスフェマス」ミニゲームの映像です。償いの涙を一定数消費することで挑戦でき、クリアすることで専用の悔悟者のスキンを入手できます。

ブラスフェマスゲームを深くまでプレイした悔悟者の方々であれば「ニヤリ」とできるような小ネタとしてお楽しみいただけたのであればうれしいです。

終盤(「真エンド:黄昏の創傷」)まで

ラストの「Oh-oh-oh, oh-oh, oh」のコーラス部分は、悔悟者がこれまでの巡礼でかかわってきたキャラクターNPCたちのシーンを配置しました。災厄なりし奇蹟によって齎された魂の叫びのコーラス、ここが本AMVで最も描写したかったシーンといっても過言ではありません。

一人目はヴィリディアナで、ボス戦を通じて3度目のサポートをしてくれた直後に死亡してしまうシーンです。一応、ゲーム進行においては、彼女からの助力を断り続ければ、最後まで生存します。

二人目は拝跪の教団の老巡礼者レデント。悔悟者からの助けを得てクヴストディアの巡礼を終えながらも、内心の罪悪感・罪業からの解放に至ることができなかったことを嘆くシーンです。

三人目は水銀を提供することで胆汁のフラスコ瓶を強化してくれるナシミエントが、自らの胸から老人が抜け出していこうとすることに苦しみあえぐシーン。

四人目はヒブラエル真なる苦悶モードでのみ登場する人物で、動画のカットはエクストラボス最初のアマネシダ ラウデスを打倒したあとで彼女の魂の安寧を案じるシーンです。

これらのキャラクターたちの結末はそれぞれのサブクエストに描かれているため、メインストーリーを進行するうえでは必ずしも目の当たりにする必要はありません。しかし、災厄なりし奇蹟の苦痛にさらされながらも懸命に生き、使命を果たしていた彼ら一人ひとりの在り様を魂に刻み込むことで、悔悟者の贖罪の「重み」もいや増すのではないかと思っています(彼ら以外の魅力的なNPCたちもたくさんいるのですが、動画の尺には収まり切りませんでした…)。

悔悟者の戦いと巡礼は最初から最後まで孤独なものであることに違いはないけれども、その途中で出会った人物たちの苦悩を背負っているのだとすれば、悔悟者の「冒涜」は彼一人のものでは決してないのだと思われます。そのような悔悟者のある種「英雄的」な側面もしっかりと今回のAMVでは描きたかった…というわけです。ブラスフェマスはダークな雰囲気であることは否定しないけれども、物語の根幹には人々の苦しみへの眼差し、慈しみがあるのだということが多くの人々に伝わればいいなと願ってやみません。

おわりに

MAD(AMV)の制作は初めての挑戦だったので想像していたよりもいろいろ大変で、熟練の職人や視聴者方から見ると拙い出来になってしまっているのかもしれないのですが、個人的には作り上げたい編集ができたので、反省点はいくつかありつつも、今のところ公開したことに後悔はありません。

何よりも、それぞれの魅力的な作品を生み出してくれたアーティスト・関係者たちに最大限の敬意を表します。また、本記事やMAD動画を視聴してくれた方も本当にありがとうございます!

完全に余談ですが、BlasphemousのMAD・AMV動画自体がすごく少ない(検索してもあんまり出てこない)なぁという感覚はあるので、各権利者様が許容される範囲内という大前提にて、純粋なファンメイドの作品がもっと増えていけばいいのに…という思いはあります。余裕ができたら、今度はブラスフェマス2の映像を用いたAMV制作にチャレンジしてみるのもいいかもしれません。

それではいつかまた、夢の向こう岸で…

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