メインストーリー解説・考察02_序章:巡礼の始まり【ブラスフェマス】

ストーリー ブラスフェマス 解説 考察

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ブラスフェマスにおけるメインストーリーについて、連載形式で解説・考察をしています。このページでは、連載の第二回目として、「序章:巡礼の始まり」について解説しています。ストーリーに興味のある方、プレイ済みで振り返りたい方などの参考になれば幸いです。

概要

前回の記事

前回の記事は「01_世界観と主要キャラクター紹介」です。ブラスフェマスの世界観の基本概念と、メインストーリーの主要キャラクターたちを紹介しています。

本記事は、前回の記事の続きの解説・考察記事となっています。

本記事のトピック

本記事では、「序章:巡礼の始まり」として、ストーリーの序盤の内容について解説をしています。ゲーム本編の前日譚を描いた『THE KNEELING』についても紹介しているので、悔悟者が巡礼を始めるまでの流れ・ポイントを理解する助けとなれば幸いです。

※下記は『THE KNEELING』のSteam販売ページ(外部サイト)です。

以降の項目では、メインストーリーのポイントを時系列で紹介しています! また、「考察ポイント」では後のストーリー展開なども踏まえた解釈を記載しているので、ネタバレにはご注意ください。

序章:巡礼の始まり

オープニング

ブラスフェマスのオープニングには、懺悔と祈りの言葉を呟きながら「父なる神(歪んだ者)」の彫像を何度も自らの胸に打ち付ける女性(懺悔の修道女)が登場します。彼女は自らの罪への罰を望み、「災厄なりし奇蹟」へ、罪過を形としてくれることを願います。

「奇蹟」が祈りを聞き届けたのか、突如として父なる神の彫像からは剣の刀身が生え、彼女の胸は刺し貫かれて朱に染まります。彼女は息絶え、なんと胸が剣に貫かれた姿のまま石化してしまいます。

懺悔の修道女の像
懺悔の修道女の像

幾ばくかの時が過ぎ、彼女の胸に突き刺さった剣が誰かに引き抜かれます。父なる神を柄に象ったこの剣こそが「懺悔の剣」であり、それを手にしたのがブラスフェマスの主人公である「悔悟者」なのです。

その後、デオグラシアスの声で、人々の内心の罪悪・後悔・哀悼などが現実世界に明白な形をとって現れる「奇蹟」という現象が世界に蔓延したことが語られます。「奇蹟」は人々にとって傷を癒やす祝福となることもあれば、人々を異形の怪物へと変えてしまう厄災としても生じます。

共通するのは、「奇蹟」が人智を超えた「気まぐれかつ神聖な」事象としてブラスフェマスの世界に住む人々から畏れられているということです。「奇蹟」についての基本的な解説は「前回の記事」にて紹介しています。

考察ポイント

懺悔の修道女が「もう一度 この罪過に形を」と口にしているのは、「父なる神(歪んだ者)」が自身への罰を望み、体が樹木へと変化した「第一の奇蹟」を念頭に置いていると思われます。かつて歪んだ者に奇蹟が「罰」を与えたように、もう一度、自身に対しても何らかの罰を与えてくれるよう祈る言葉なのでしょう。

ブラスフェマスの前日譚を描いたコミック『THE KNEELING』によれば、懺悔の修道女自身、自らの望みが叶った場合の末路は、初めから承知していたようです。彼女の心を苛む罪悪感の正体は不明ですが、罪が雪がれて生き延びることを望んだのではなく、たとえ自身の心臓が貫かれようとも、聖なる罰によって罪が赦されることを望んだのでしょう。彼女のように自らの罪を純粋に悔いる魂こそが、懺悔の剣の刀身を鍛え上げる「熱」であるのかもしれません。

前日譚『THE KNEELING』

ブラスフェマスの前日譚を描いた公式コミック『THE KNEELING』では、悔悟者が懺悔の剣をその手にしてから、『黙する悲哀』修道院で目覚めるまでのエピソードが描かれます。

前半はコミックオリジナルキャラクター「デサンパラドス」とともに、懺悔の修道女の像がある礼拝堂に訪れた悔悟者が、懺悔の剣を初めて手にします。後半では、礼拝堂の中で邂逅した悔悟者とクリサンタの戦いが描写され、敗北した悔悟者の体が同胞たちの遺体の山に投げ捨てられるシーンで幕を閉じます。

『THE KNEELING』でクリサンタに敗れ、引き摺られる悔悟者

このとき、悔悟者とクリサンタは「沈黙の仮面と盲目の仮面が対峙するように、互いに相反するが、同時に補完し合う贖罪を果たすもの」であるとクリサンタのモノローグで語られます。おそらく両者の出会いはこれが初めてでしょうが、一瞥し、一太刀を交えただけで互いの背負う罪や運命の重さを感じ取ったのでしょう。

クリサンタは真紅の剣で悔悟者の体を切り裂き、確実に息の根を止めましたが、「本当にお前(悔悟者)が奇蹟に選ばれたのなら、死者の上にお前は蘇り、我らは再び出逢うだろう」とも述べています。この予言どおり、兄弟団の同胞とともに死したはずの悔悟者は、懺悔の剣とともに――そしてこのあと幾度も――立ち上がることとなるのです。

考察ポイント

THE KNEELINGとは「跪くこと」(拝跪)を意味する語です。「跪く」所作は、神聖なるものへ祈り・敬意を捧げる儀礼的行為であり、「奇蹟」や「父なる神」に対する信仰心、ないしは贖罪の巡礼に自らの身を捧げる意志を表現した言葉でもあるのでしょう。もしかすると、兄弟団の一員に過ぎなかった「ある男」が、懺悔の剣を手にして一度命を落とすことで「悔悟者として生まれ変わる」過程である通過儀礼(イニシエーション)を描いた漫画である…という意味も込められているのかもしれません。

いずれにせよ、真エンドルートでクリサンタ「最初の拝跪が行われた場所」として『黙する悲哀』修道院の上層にある礼拝堂を示しているのも、この『THE KNEELING』で描かれた場面が念頭に置かれていることは間違いないでしょう。クリサンタの刃で命を絶たれた悔悟者が、長い巡礼の旅を経た後、懺悔の剣でクリサンタの鋼の信仰心に傷をつける流れからは、両者の運命の奇妙な相関を感じずにはいられません。

ちなみに悔悟者やクリサンタ、および黙する悲哀兄弟団のメンバーたちが着用している円錐形の兜は「カピロテ」というスペイン・カトリック教徒が用いる衣装をモチーフにしています。

Not what you may think - these are nazarenos (hooded penitents) in the Holy Week parade in Granada (IMG 5519a)
グラナダの聖週間のパレードに登場するカピロテを着用した懺悔者たち

天を突くように尖った形状(とんがり帽子)は、道化や罪人を示すシンボルでしたが、それが転じて自らの罪を償い、贖う苦行に身を投じる懺悔者・改悛者であることを示すトレードマークとなったのです。ブラスフェマスにおいては、ほかにデオグラシアス炎による復活者 キルセがカピロテ型の覆面を着用しています。

『黙する悲哀』修道院での目覚め

オープニングのあとは、『黙する悲哀』修道院で目覚める悔悟者のシーンにつながります。『THE KNEELING』でクリサンタに敗北し、『黙する悲哀』兄弟団の同胞たちの遺体の山に投げ込まれた後の場面です。

同胞たちの遺体の山の上で倒れ伏す悔悟者
同胞たちの遺体の山の上で倒れ伏す悔悟者

クリサンタの剣に切り裂かれ、一度は息絶えた悔悟者ですが、懺悔の剣の奇蹟によるものか、再びその息を吹き返して立ち上がります。失われた体力を「胆汁のフラスコ瓶」で回復させ、修道院内の「祈祷台」に跪いて祈りを捧げることも忘れず、その歩みを進めます。

考察ポイント

【祈祷台について】

祈祷台は、跪いて祈りを捧げるための祭壇で、ゲーム内ではいわゆるセーブポイントの役割を担うポータルとなっています。悔悟者は巡礼のさなかに死亡すると、その肉体と懺悔の剣が小さな智天使たちに支えられ、直近に跪いた祈祷台から復活します。

祈祷台に跪く悔悟者

悔悟者の巡礼は、彼の肉体的な死によって完了することはないのです。仮に巡礼がその途上で中止されることがあるとすれば、プレイヤー自身が巡礼を諦めて歩みを止めることによってのみ、そうなるのです。

ちなみに、ボス敵に敗北して死亡した際の描写から想像するに、悔悟者の復活は「時間が巻き戻る」形で実現している可能性が高いです。「奇蹟」が時間や空間を超越して力を及ぼすことは何度も示唆されますが、悔悟者を取り巻く奇蹟の諸力も、あたかも彼が巡礼を進めることによってのみ時間が進むかのように働いています。

【『黙する悲哀』兄弟団について】

『黙する悲哀』兄弟団は物語開始時点で悔悟者を残して全滅しています。彼らを虐殺したのは教皇聖下 エスクリバーを戴く「聖母教会」の命を受けた「聖別軍」であるというのが通説です(実際に兄弟団の構成員を殺害したのは、「黙する悲哀の番人」の可能性もあります)。

なぜ聖母教会が『黙する悲哀』兄弟団を滅ぼしたのか、明白な理由は作中で明かされていません。理由の一つとして考えられるのは、クヴストディアにおける両組織の思想・宗派上の対立です。聖母教会はクヴストディアを実質的に支配し、「奇蹟」の代弁者を僭称する権威的な組織ですが、『黙する悲哀』修道院に巨大な「歪んだ者」の彫像が飾られていることからも、兄弟団の主たる信仰の対象は「奇蹟」そのものというよりは「歪んだ者」であると思われます。

ひょっとすると、数多の「奇蹟」への人々の信仰心を集約したい「世俗主義的」な聖母教会にとって、『黙する悲哀』兄弟団は過去の第一の奇蹟(「歪んだ者」)のみを信奉するある種の「原理主義的」な集団として受け止められ、(遺体の数からして)多くの信者を集めていたであろうことから危険視されていたのかもしれません。なお、『黙する悲哀』兄弟団が「歪んだ者」を至上とする排他的な集団であったかは定かではありませんが、悔悟者と同じように「沈黙すること」を贖罪とした人々が自らの信仰について他者から理解を得るために「語る」ことや、誤解を解くために「弁明」の機会を持ったとは考えにくいでしょう。

もう一つは、悔悟者の同胞たちの虐殺が、「ヘロデ王の嬰児虐殺」になぞらえて運命づけられていたという解釈です。「ヘロデ王の嬰児虐殺」は、「新たにユダヤ人の王となる子(イエス・キリスト)が生まれたと聞き、自らの権力が脅かされることを恐れたユダヤのヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させた」という新約聖書のエピソードです(『マタイによる福音書』)。

The Massacre of the Innocents at Bethlehem (10th century manuscript), paper, 10.3 x 13.3 cm (4 x 5.2 in). Stadtbibliothek, Trier
(10世紀の写本に描かれた)ベツレヘムの幼児虐殺

新約聖書の物語とブラスフェマスの対応を図式化すると下記のようになります。

  • イエス・キリスト ― 悔悟者
  • ヘロデ大王 ー 聖下 エスクリバー
  • 虐殺された幼子たち ー 『黙する悲哀』兄弟団の同胞たち

つまり、聖下 エスクリバーにとって真に滅ぼしたかった対象は、実は懺悔の剣を手にした悔悟者ただ一人であった――けれども、鉄のカピロテ兜を装着した同胞たちと外見上は区別がつけられないため、兄弟団に所属する全員が虐殺の犠牲となったのではないか、という解釈です。

仮にこの解釈が正しいとすれば、自らの贖罪のために多くの同胞の命が奪われたという事実は、悔悟者にとって痛烈かつ残酷な運命であることは疑いようがありません。いっぽう、悔悟者がその身を引き裂く巡礼に耐え忍び、沈黙の贖罪を愚直なまでに徹底しているのは、同胞たちの多大な犠牲が払われたうえでの、唯一の生き残りであるという自覚が根底にあるからなのかもしれません。

「黙する悲哀の番人」との戦い

修道院の中を進むと、遺体の山の陰から突如として仮面の巨人「黙する悲哀の番人」が襲いかかってきます番人はその巨体からは想像もできないほどの跳躍をしつつ、巨大な燭台を地面に打ち付けて衝撃波を発生させます。

「黙する悲哀の番人」と戦う悔悟者
「黙する悲哀の番人」と戦う悔悟者

悔悟者の身の丈数倍はあろうかという巨躯と敏捷性に圧倒されそうになりながらも、股下をくぐり抜け、攻撃のタイミングを見極めつつ戦うことになります。

懺悔の剣で最後の一撃を放つと、番人は倒れ、響き渡る鐘の音とともに「REQUIEM ÆTERNAM」(レクイエム・エタルナム)という文字が浮かび上がります。これは「永遠の安息を」という意味で、「災厄なりし奇蹟」の力で異形化した者たちの苦しみに終止符を打ち、魂の安寧を祈るための言葉です。

その後、倒れた番人に近づいた悔悟者は、その脇腹から流れ出る血を兜の中に受け止めます。

「黙する悲哀の番人」から流れ出る血を兜で受け止める悔悟者
「黙する悲哀の番人」から流れ出る血を兜で受け止める悔悟者

なんと、悔悟者は番人の血液で満たされた兜をそのまま被り、自ら血塗れになることを選びます。無表情な鉄の仮面からは血の涙が溢れ、これから待ち受ける悔悟者の贖罪・巡礼が厳しく血塗られたものとなることを予感させるのでした。

考察ポイント

黙する悲哀の番人」の血を頭から被る悔悟者の行動はブラスフェマスの序盤で最も衝撃的なシーンの一つです。血に塗れながらも贖罪を果たすという強い決意を示す行為でもあり、同時にそれは悔悟者にとってのある種の「洗礼」だったのではないでしょうか。

「洗礼」(バプテスマ)とはキリスト教において、水をふりかけたり頭に注いだりすることで罪を清め、入信の資格を認める秘蹟行為です。新約聖書ではイエス・キリストが洗礼者ヨハネから洗礼を施される場面が描写されます。

The Baptism of Christ (1472–1475), by Andrea del Verrocchio and Leonardo da Vinci. Uffizi Gallery, Florence
ヴェロッキオとダ・ヴィンチ作『キリストの洗礼』(1472–1475年)

のちにデオグラシアスの言葉によって、黙する悲哀の番人は『黙する悲哀』修道院の修道士長が「奇蹟」により変じた姿であることが示唆されます。すなわち黙する悲哀の番人は、悔悟者にとっては所属する教団の指導者にあたる人物であったのです。

類比的に考えると、教団の先達である番人の血でもって悔悟者は清められ、真の意味で贖罪を始める資格を得たのかもしれません。

デオグラシアスから「奇蹟の揺籃」への道を示される

黙する悲哀の番人を倒し、修道院を出ると、緑の頭巾をまとい、顔面と身体を荒縄で縛った大男「デオグラシアス」が悔悟者を待っています。彼は自身を「災厄なりし奇蹟の御業の証人」であり、「奇蹟の御業を語ること」を贖罪としていると述べます。

そして、悔悟者の贖罪を果たすためには、「奇蹟たる苦痛の揺籃」を見つけ出す必要があり、それは「万母の母」の教会にあると言います。

「奇蹟たる苦痛の揺籃」の場所を語るデオグラシアス
「奇蹟たる苦痛の揺籃」の場所を語るデオグラシアス

しかし悔悟者たちが今いる地は万母の母から大きな扉によって分け隔てられており、その扉を越えるには「三つの屈辱」を果たす必要があるデオグラシアスは語ります。

屈辱の一つ目は「厚い雪と氷に覆われた高い山脈」(山頂墓地『焦貌の聖女』修道院)で、二つ目は「闇の奥深く、眠れる者が潜む埋葬された教会」慈悲なる夢)で、最後の三つ目は「地中に育ったホンドという鐘のはらわた」ホンド怨嗟の縦穴)で待ち受けているとのこと。悔悟者の巡礼はひとまずこの「三つの屈辱」を果たす試練を乗り越えることが目的となります。

そして別れ際、デオグラシアスは悔悟者に「棘」というアイテムを渡します。これを懺悔の剣の柄にはめ込むと、悔悟者の流した血によって成長し、伸びた茨が「父なる神」の彫像に巻き付いたその時には「奇蹟」の慈悲が示されるであろうと予言します。

デオグラシアスと別れた悔悟者は郊外の道である「聖線」を進み、狂った巡礼者や異形の怪物が闊歩する世界に踏み出します。災厄なりし奇蹟がこの地にもたらす陰鬱とした雰囲気を垣間見ることができるでしょう。

聖線を抜けて先へ進もうとすると、謎の青銅の仮面のイメージが浮かび上がり、しわがれた老人の声で悔悟者へと語りかけてきます。

語りかけてくる青銅の仮面の老人
語りかけてくる青銅の仮面の老人

「奇蹟は私たちを見捨てた」という謎めいた言葉を残して夢幻のように消えた影像は、悔悟者の巡礼の先に待ち受ける並々ならぬ存在を予感させるのでした。

アルベロへの到達

聖線を抜けた先には、人々が身を寄せ合い暮らす街「アルベロ」があります。アルベロには真聖遺物教団の教会や傷病者の治療を行う「口付けの廉施者」の寄宿所、遺骨を集める納骨堂などがあり、クヴストディアで生きる人の暮らしをうかがい知ることが可能です。

アルベロに登場するNPCたちはメインストーリーの進行にはほとんど関係しませんが、クヴストディアに生きる人間としてそれぞれの悩みや使命を抱えています。たとえば傷病人の傷口に口付けを施すことで奇蹟の力を借りた治療を行う修道会「口付けの廉施者」の中心人物「ティルソ」は、治療に用いる軟膏の材料となるアイテムを求めています。

「口付けの廉施者」の中心人物ティルソ

ティルソによれば、アルベロの外界は「災厄なりし奇蹟」のために時間の流れが異常となっており、永遠に繰り返される黄昏が人々の思考や活動を阻害しています。しかし贖罪の巡礼に身を捧げている悔悟者は、その異常な時間の影響を受けずに活動できるとのこと。ゆえに、傷病者たちを救うために軟膏の材料を集めることを悔悟者に依頼してくるのです。

このようなティルソたちNPCが抱えている課題を解決するための手助けを行うことは、メインストーリーの進行には直接的にかかわらない、いわゆる「サブクエスト」的な位置づけとなります。これらサブクエストのクリアはメインストーリーの進行に必須ではないため、本連載記事では個別の解説には立ち入りません。

ただし、種々のサブクエストを進めることでクヴストディアの生活や奇蹟に対する理解も深まりますし、それぞれのサブクエストで展開されるストーリーも魅力的です。また、基本的には悔悟者が悩み苦しむ人々を助ける方針をもっていること、彼らに慈悲が与えられんことを願って歩みを進めているであろうことが徐々に理解できるようになっています。

主たる目的のためにひたすらに邁進するか、敢えてその時どきに出逢った運命に委せて寄り道を歩むのか、いずれにせよ、クヴストディアで生きる人々が寄り集まり、いっとき悔悟者とも交流を持つようになる場、アルベロを足がかりとして、悔悟者の贖罪の巡礼がいよいよ本格的に始まるのです。

解説の続き

本解説の続きの記事は「前編:三つの屈辱と三試練の橋」となっています。

公開まで今しばらくお待ちください!

それではいつかまた、夢の向こう岸で…。

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