メインストーリー解説・考察05_贖罪の終着:無価値なる者の道【ブラスフェマス】

ストーリー ブラスフェマス 元ネタ 考察

t f B! P L

ブラスフェマスにおけるメインストーリーについて、連載形式で解説・考察をしています。このページでは、連載の第5回目として、「贖罪の終着:無価値なる者の道」について解説しています。ストーリーに興味のある方、プレイ済みだけれども振り返りたい方、あらためて難解なストーリーの真実に触れたい方の参考になれば幸いです。

灰の山に埋もれた懺悔の剣(無価値なる者の道(Bエンディング))【ブラスフェマス】

概要

前回の記事

前回の記事は「後編:三仮面を集めて大聖堂の最上へと昇る」です。三語の結び目で第一の奇蹟の物語を知り、三仮面を収集しながら聖母教会の信仰の暗部を辿っていくストーリーを解説しました。

本記事は、前回の記事の続きの解説・考察記事となっています。

本記事のトピック

本記事では、「贖罪の終着:無価値なる者の道」として、ブラスフェマスメインストーリーの終盤とノーマルエンド(Bエンディング)である「無価値なる者の道」を解説しています。項目は下記のとおりです。

  • 信仰の衝突、拘束の苦悶 クリサンタとの決着
  • 最大の冒涜。聖下 エスクリバーと「奇蹟の末子」
  • 奇蹟の慈悲――無価値なる者の道

以降の項目では、メインストーリーのポイントを時系列で紹介しています!

信仰の衝突:拘束の苦悶 クリサンタとの決着

三仮面を集めて大聖堂 屋上の頂点へと至った悔悟者。いよいよ聖母教会の奇蹟の揺籃は目と鼻の先です。その悔悟者を待ち構えていたのは、黄金のカピロテ甲冑に身を包んだ拘束の苦悶 クリサンタでした。彼女は聖母教会が教皇を守護するために組織した聖別軍のリーダーであり、かつて悔悟者と三試練の橋で死闘を繰り広げた聖別軍 エズドラスの上官に当たる人物です。

悔悟者の前に立ち塞がる聖別軍のリーダー、拘束の苦悶 クリサンタ【ブラスフェマス】
悔悟者の前に立ち塞がる聖別軍のリーダー、拘束の苦悶 クリサンタ

ゲーム内ではクリサンタとの邂逅はこれが初めてですが、02_序章:巡礼の始まりで解説した通り、ストーリーの前日譚である『THE KNEELING』にて悔悟者はクリサンタに敗れ一度命を落としているため、因縁の再会となっています。

クリサンタは「お前は母なる神と奇蹟に対して最も重い罪を犯した」と悔悟者を断罪します。悔悟者がこれまでの巡礼で奇蹟の怪物たちを懺悔の剣でうち滅ぼしてきたことに対して、奇蹟を聖なるものとして信奉する聖母教会の立場から、強い非難を投げかけているのでしょう。 「天国の名をもってお前の名を消し去ろう」と高らかに宣言した彼女は、有無を言わさずに悔悟者に刃を向けてきます

クリサンタの剣術はおよそ西洋的ではない独特の構えを持ち、真紅の布に包まれた長剣から繰り出される斬撃は悔悟者を圧倒します。体格差で劣る悔悟者はクリサンタの猛攻をしのぎ、的確にガードとパリィを重ねることで反撃を狙いますが、祈詞「見捨てられし村落のベルディアレス」を思わせる地を這う衝撃波の魔法攻撃を詠唱してくるなど、その隙を突くことは容易ではありません。

あろうことかクリサンタは、瞬間移動を駆使したうえでの多方向からの刺突攻撃を仕掛けてきます。どの方向から自分を刺し貫く剣が迫ってくるかを見極めるのも容易ではない状況下で、それでもわずかな隙を突いた悔悟者は、遂に彼女の身を守る真紅の布を切り裂き、リベンジ戦に勝利をおさめます。強固な信仰の衝突の結果は悔悟者の沈黙に軍配が上がりました。

激闘の末、クリサンタを打倒する悔悟者【ブラスフェマス】
激闘の末、クリサンタを打倒する悔悟者

膝をついたクリサンタは、「この魂を粛清するがいい」と告げ、自らにとどめを刺すよう要求してきます。一度は悔悟者の命を奪った彼女ですから、逆に敗北した際には自らの命を奪われることも覚悟していたのでしょう。悔悟者はクリサンタの言葉通り、懺悔の剣を振るって彼女に剣戟を浴びせます。しかし突如としてクリサンタはとどめの一撃を剣で防ぎ、そのまま瞬間移動でその場から離脱して姿を消してしまいました。言葉とは裏腹に、悔悟者に対して完全に観念してはいなかったのか、あるいは奇蹟を滅ぼす懺悔の剣に切られたことで彼女の奇蹟への信仰が多少なりとも影響を受けたのか、果たしてその真実は明らかとなりませんが、聖母教会の教皇の前にあった最後の障害が取り除かれたことは事実です。

悔悟者の沈黙は、これから迫りくる最後の脅威への緊迫の表れか、それとも巡礼の始まりに虐殺された同胞団の仲間たちへの追悼か――いずれにせよ贖罪の苦しみに引き裂かれた悔悟者の魂の終着点がすぐそこにあることは、言葉を発さなくとも感じずにはいられないのでした。

考察ポイント①拘束の苦悶という「キメラ」について

大聖堂 屋上にて、悔悟者と拘束の苦悶 クリサンタとの因縁の戦いに一応の決着はつきました。しかしそれでも尚、クリサンタに関する謎や疑問の多くは(少なくとも現時点では)解消されないままとなっています。彼女は単なる強ボス・悔悟者のライバル・聖別軍のリーダーといった言葉だけでは括れない存在です。

この項目で記しているのは、彼女の正体に迫るために、いくつかのゲーム内要素・テキストを拾い集めて組み合わせ、想像の結び目でもってその実像を描き出そうという儚い試みです。

まず、巡礼の始まりの地である『黙する悲哀』修道院には、聖遺物「永遠の砂血」を装備することで到達できる上層エリアが存在し、そこに横たわる遺体から、聖遺物「幻罪の織布」で下記の記憶の断片を伺い知ることができます。

私は彼女の姿を見た。黄金と紋織物に身を包み、眉庇によって目元が覆われた兜をかぶりながら贖罪を果たす彼女は、ゆっくりと沈んでいく忌まわしき太陽を眺めていた……

この遺体が残した言葉の「彼女」は紛れもなくクリサンタを指しています。黄金の鎧、また目元を覆う手のような意匠の眉庇(まびさし…兜の額を庇のように覆う部分のこと)を持った贖罪者は彼女以外にあり得ません。「盲目」のカピロテ兜を装着したクリサンタが太陽を「眺める」という詩的な表現が印象的です。察するに、この遺体が記憶しているクリサンタの情景は、前日譚『THE KNEELING』(序章:巡礼の始まりで紹介)にて、悔悟者を打倒した前後のシーンではないかと思われます。

太陽が沈むという情景が「災厄なりし奇蹟の落日」を象徴しているのだとすれば、この時点でクリサンタは、悔悟者の巡礼の始まりが奇蹟の冒涜と没落の幕開けとなることを予感していたのかもしれません。この時、彼女が何を思っていたかは想像の域を出ませんが、「忌まわしき(太陽)」という形容詞が、仮に名もなき遺体の目線だけではなくクリサンタの心象をも表現したものだとすれば、その負の感情は冒涜者である悔悟者のみに向けられたものではなく、ひょっとすると災厄なりし奇蹟に対するものなのではないかと「邪推」してしまいます(特に真エンドルートのクリサンタの行動を考慮すると、彼女が災厄なりし奇蹟を全面的に支持していたわけではないということが想像されます)。

また、大聖堂 屋上クリサンタを打倒した後、『黙する悲哀』修道院の上層にある「懺悔の礼拝堂」にて、傷つき血を流しながら苦悶に呻くクリサンタに会うことができます。

懺悔の礼拝堂で血を流し、痛みに苦悶するクリサンタ【ブラスフェマス】
懺悔の礼拝堂で血を流し、痛みに苦悶するクリサンタ

ここでクリサンタは、自分が成しえなかった悔悟者の打倒を、この先に待ち受ける聖下 エスクリバーが成し遂げることを予告してきますが、同時にいくつかの興味深い発言をしています。

まず「斬られた真紅の拘束が私の苦悶をさらけ出した」というセリフ。「拘束の苦悶」という彼女の二つ名の意味に迫ることができる大きなヒントとなる言葉です。字義通りに読むと、悔悟者との戦いで懺悔の剣に斬られたことによって、彼女を拘束していた真紅の布が切り裂かれ、彼女の内なる苦悶が露となった、という文章ですが、つまりクリサンタは何らかの拘束をその身に受け、内なる苦しみを抱いている存在であるということが彼女自身の口から語られているのです。

この「拘束」が何を指しているのかはいくつかの解釈があり得るかと思われますが、まずは聖別軍のリーダーであるという立場、ひいては災厄なりし奇蹟を良しとする聖母教会の信仰を己に課しているということ、そして後の真エンドルートにて明らかとなる「奇蹟」そのものから受けている拘束であると思われます。重要なのは、その「拘束」によって彼女自身が「苦悶」しているということ、すなわちある種の強制力によって任ぜられている今の立場を彼女自身がポジティブに受け入れているわけではなく、それこそが真エンドルートにおける彼女の変化の布石ともなっているのです。

次に「ここに冒涜の扇動者たるお前がいることを彼らは快く思っていない」というセリフですが、ここでのポイントは悔悟者の巡礼を憎むものが「彼ら」という複数形で語られているということです。単に残った最後の敵である聖母教会の教皇聖下 エスクリバーのことであれば、「彼は快く思っていない」と述べるでしょうから、注意深く読むと違和感のある表現となっています。すなわち「彼ら」と表現するからには、悔悟者の冒涜を忌む者がエスクリバー以外にも存在し、単に教皇聖下を滅ぼすだけでは災厄なりし奇蹟の問題は解決しないことを暗示しているのです。このセリフは真エンドルートの大きな伏線となっているといってよいでしょう。

そして、「これらのウソと キメラと この身の痛みによる錯乱と共にある私を…どうかこの私を一人にしたまえ」というセリフ。これは傷ついた彼女が憔悴し、錯乱していると同時に、これまで見てきた彼女の複雑な本質を示す表現となっています。「キメラ」(Chímaira)とはギリシャ神話などに登場する伝説上の生物で、ライオンの頭と背中から生えたヤギの頭、尾から生えた蛇の頭を持つ姿で描写されます。

アプリア地方の赤絵式の皿に描かれたキメラ(紀元前350~340年頃)
出典:Wikimedia Commons

異なる動物の姿かたちが結合された生物であることから、「キメラ」は異質なものが合成された存在を指す言葉でもあります。クリサンタが自らを「キメラ」と表現したのも、奇蹟を奉じる聖母教会の使徒でありながら、同時に内心では災厄なりし奇蹟に疑念を持ちつつも、さらに自らの鋼の信仰心でそれを抑え込んでいるという矛盾・葛藤を曝け出していたからなのではないでしょうか。

このストーリー時点では悔悟者と対立したままのクリサンタですが、この先で見ていくことになるであろう真エンドルートにおいても、彼女は重要な役割を果たしていくことになります。その時が来れば、また彼女についての掘り下げも進んでいくこととなるでしょう。

最大の冒涜:聖下 エスクリバーと「奇蹟の末子」

クリサンタを退けた悔悟者は、聖母教会で最も天に近い場所、教皇の回廊に到達します。建造物の内部は灰が降り積もった聖堂で、内部に足を踏み入れた悔悟者に対し、どこからともなく老人の声が語りかけてきます。

その声は「夢の中で私はそなたに話しかけようと試みた」と話すことから、これまで何度も悔悟者にテレパシーを送ってきた相手と同一人物であり、しかもその声の主は「奇蹟の守護者」を自称する聖母教会の教皇、聖下 エスクリバーその人であったということが明らかとなります。エスクリバーは教皇の祭服を翻すように出現し、真紅の肌と黄金の剣を露にします。

教皇の回廊で聖下 エスクリバーと対峙する。【ブラスフェマス】
教皇の回廊で聖下 エスクリバーと対峙する。

「そなたの名を私は永遠に呪おう」と厳かに告げるエスクリバー。ついに災厄なりし奇蹟をめぐる、罪を抱えた悔悟者と聖母教会の教皇による最終決戦の火ぶたが切って落とされます。エスクリバーは奇蹟の紋章をなぞる所作とともに、自らの身を守る結界を展開し、炎、雷、毒などの属性を付与した魔法攻撃で悔悟者にダメージを与えようとしてきます。結界を展開している間はエスクリバーに攻撃が通らず、一方的な攻勢を許してしまいますが、魔法攻撃の終わり際に結界が解除される間隙を縫うことで、斬撃が教皇の赤い皮膚へと届きます。

懺悔の剣の一撃がエスクリバーの身体の芯に突き刺さると、老教皇の身体は内側から弾け飛びます。これで悔悟者の巡礼も終わりを迎えたのかと思われた矢先、倒したはずのエスクリバーの声が回廊内に響き渡ります。「そなたは 私の眠る姿が映された鏡を粉々に砕いた」という言葉から、先ほどまで悔悟者と戦っていたのはエスクリバーの分身体のような存在であったのでしょう。巻き上げられた灰の吹雪が眼前を覆いつくし、次に視界が開けるとそこには青銅の聖鎧に身を包んだ巨人、エスクリバーの真の姿である「奇蹟の末子」が屹立し、悔悟者を矮小なものであるかのように見下ろしていました

「奇蹟の末子」としての正体を露にしたエスクリバー【ブラスフェマス】
「奇蹟の末子」としての正体を露にしたエスクリバー

「末子」というのは、災厄なりし奇蹟の聖性を継承する存在であることを僭称したものでしょう。この奇蹟の末子を討ち滅ぼさない限り、奇蹟の揺籃への道は開かれません。悔悟者は先の戦いの傷をいやす暇もないままに、強大な存在へと挑みかかります。

奇蹟の末子は、自身は微動だにしないまま、エスクリバーの分身体が用いてきた攻撃をさらに強力にした奇蹟の大魔法を詠唱してきます。悔悟者を追尾する毒煙、幾重にも連ねられた人間大の火球、天から降り注ぐ極太のレーザー光線が冒涜者を容赦なく焼き尽くそうと攻め立てます。

さらに、分身体が携えていた黄金剣も巨大化し、念動力によるものか空中を浮遊しながら薙ぎ払いを仕掛けてきます。しかし、同時にその黄金剣の柄に嵌められた眼球が奇蹟の末子のウィークポイントでもあり、その部分に斬撃をぶつけることができます。一時的に黄金剣が消失すると奇蹟の末子の鎧の顔面部分が開き、エスクリバーの赤い顔面が露出、そこに攻撃を当てることで奇蹟の末子にダメージを与えることができるのです。

父なる神の助けによるものか、空間に生成された足場がごく短い間ではあるものの悔悟者を支え、高所にある奇蹟の末子の頭部への攻撃を届かせます。ついに懺悔の剣の一撃が奇蹟の末子の核へと致命的なダメージを与え、エスクリバーは驚愕の表情で目を見開きます。その貌の肉は忽ちのうちに溶け去り、眼球は脱落、恐ろしい髑髏の姿を見せることで、鎧の内部で奇蹟の末子の身体が崩壊していったことがわかります。刹那、奇蹟の末子の体躯からは5本の腕を有した真紅の肌の老人の霊体が重なり合うように出現し、そのまま昇天していくようなイメージが投影されました

悔悟者の視界が光に包まれると、気づいた時には灰の嵐は消え失せ、先ほどエスクリバーと対峙していた回廊へと戻ってきていました。滅ぼされた聖母教会の教皇の姿はすでになく、ついに悔悟者は「SUMMA BLASPHEMIA(スーマ・ブラスフェミア、最大の冒涜)」を成し遂げたのです。

SUMMA BLASPHEMIA(最大の冒涜)を成し遂げる悔悟者【ブラスフェマス】
SUMMA BLASPHEMIA(最大の冒涜)を成し遂げる悔悟者

『黙する悲哀』修道院の同胞たちを虐殺されてから続いてきた長い巡礼の道のりに、一つの区切りが齎されたのです。しかし、悔悟者の沈黙の相貌からは、その冒涜的偉業に対して何らかの達成感を感じているのか、それとも内心の罪悪感を強めているのか、我々には推し量る事すらできないのでした。

考察ポイント②エスクリバーの半生について

ついに聖母教会の教皇、聖下 エスクリバーの打倒が達成されました。彼が悔悟者の最大の敵であったことは疑いようはありませんが、これまでのストーリー解説・考察記事で触れてきたように、悔悟者の巡礼がエスクリバーの足跡の一部を辿るものでもあったこと、そしてそこで明らかになった内容から、彼が自らの魂を苦しみによって高め、クヴストディアに蔓延した災厄なりし奇蹟に対して何らかの手を打とうとしていたこともまた事実でしょう。

この項目では、これまでのエスクリバーに関する考察や、悔悟者の巡礼の際に何度か彼が「夢の中」で語りかけてきた通信の内容を振り返ることで、彼が「奇蹟の末子」へと至った道行きを明らかにすることを試みています。

まず、これまでのストーリー解説のあらためての振り返りとなります。「03_前編:三つの屈辱と三試練の橋」の考察で触れたように、悔悟者がストーリーの前半で挑んだ「三試練」は、かつてエスクリバー自身が魂に受けた聖傷(悔恨、自責、改悛の三つの屈辱)を再現するものでした。すなわち、エスクリバーは悔悟者より以前に「魂に傷を負う試練の苦しみ」を経験しており、三種の聖傷アイテムに刻まれた伝承「サント・クレド」を読む限り、それは何らかの「高貴な贖罪」のためであったことがわかります。

その贖罪が果たして何の罪を贖うためのものであったのかは定かではありませんが、聖母教会の教皇として「災厄なりし奇蹟」に対抗するための贖罪であったのではないではないでしょうか。これは、「04_後編:三仮面を集めて大聖堂の最上へと昇る」で見てきたように、三仮面を所有していた聖母教会の助祭長たち(ドルフォス、クレセンテ、オレステス)に命じて、夢の世界や膨大な禁忌の知識などから「奇蹟」の秘蹟を明らかにしようとしていたことからの推察です。

しかし、彼らの探索は暗礁に乗り上げ、クレセンテが嘆いたようにエスクリバーの精神は徐々に病んでいきます。追い詰められた彼の心情を赤裸々に吐露したのが、聖線ではじめて悔悟者に語りかけてきた際の下記の言葉だと思われます。

「奇蹟は私たちを見捨てた」【ブラスフェマス】
「奇蹟は私たちを見捨てた」

私たちの懇願に返答はない 奇蹟は私たちを見捨てたのだ 華麗な装飾が施された私の玉座は 反転しその背を見せている

この「奇蹟は私たちを見捨てた」という言葉が、多くの試みを経てなお災厄なりし奇蹟を止めることのできない彼の「絶望」を端的に表現しています。いくら豪華絢爛な玉座をもった聖母教会の教皇――すなわち、クヴストディアに生きる人々の信仰の頂点――の立場にあっても、天上の奇蹟には届かなかったのですから、その絶望の深さは計り知れないものだったでしょう。「反転する玉座」、すなわち頂点からの没落の象徴です。

そして運悪く(と言っていいのか)、まさにエスクリバーが深い絶望を覚えたその瞬間に、彼の身に「災厄なりし奇蹟」が顕現したのだと思われます。のちにデオグラシアスが「聖下が奇蹟の痛みによる口付けを受けた場所 反転の玉座」と発言していることからも、奇蹟に決して届かず、それ故に人々を救済することはできないという強い罪悪感に呼応する形で、彼の異形化が始まったのでしょう。

その変貌の過程を自らの口で語ったのが、三試練の橋を越えた際と、三仮面のうち一つを入手したあとで悔悟者に語りかけてきた下記の言葉です。

私の血は黒い樹液へと変わり、年老いた皮膚は赤い樹皮へと変わっていく

奇蹟が私を生まれ変わらせた この乾いた樹 私はその頂上から すべてをこの目で見ている

奇蹟の恩寵を受けたエスクリバーは、その身を樹木へと変化させていきました。人間の身体が樹木へと変貌していくのは、三語の結び目で「歪んだ者」に生じた第一の奇蹟と共通する現象です。この点、エスクリバーに生じた奇蹟は特別なものであったとも言えますし、彼自身の内なる願望と罪悪感が、「かつての歪んだ者(父なる神)と同じようにクヴストディアの人々の救いとなりたい(しかしそうはなれなかった)」というものであったが故の帰結であったのかもしれません。ちなみに、鋼鉄なる樹の像が、この変貌後のエスクリバーを模したものであるとすれば、樹木と化した彼の身長は数十メートル以上となり、一人の老人を大樹へと変化させる奇蹟の凄まじさを感じずにはいられません。

また、次の仮面を入手した後の通信で、エスクリバーは樹木と化したその体を「燃やし尽くされた」と発言しています。

私は完全に燃やし尽くされ 体から発される煙はすべてを覆い隠す霧となった

奇蹟による恩寵は、彼の体を樹木へと変化させるのみならず、燃やし尽くすことをも織り込んでいたのでしょう。これはエスクリバーの罪悪感が、自らを火刑に掛けたいと望むほどの者であったのかもしれません(あるいは、聖母教会の暴走の結果として、聖禁の壁で執り行われた不当な異端審問による火刑を念頭に置いた罪悪感の具現化であったのやも…)。

エスクリバーが樹木と化し、その後に炎で燃やされた一連の事件は「災厄なりし奇蹟」の影響を激甚化させる端緒として、いくつかの懺悔の剣の心臓の伝承テキスト『悲嘆なる奇蹟の御業と恩寵』にその顛末が語られています(第一節:煙る香炉の心臓、第二節:高潔なる痛みの心臓、第三節:紺碧の香炉の心臓)。

煙る香炉の心臓の伝承『悲嘆なる奇蹟の御業と恩寵 第一節』【ブラスフェマス】
煙る香炉の心臓の伝承『悲嘆なる奇蹟の御業と恩寵 第一節』

それらを要約すると、おおよそ次のような流れとなります。樹木と化したエスクリバーは嵐の夜に燃え始め、九十日間にわたって燃え続けました。燃やし尽くされた彼の体は大量の灰となって大聖堂に降り注ぎ、万母の母の教会にいた多くの者たちは、その夥しい量の灰の中に飲み込まれてしまいました。そしていくばくかの時が過ぎた後、灰に飲まれた者たちは異形の怪物へと変貌し、ひときわ大きい老法王の号砲とともに、灰の山の中から大軍となって顕現します。ただひたすらに「奇蹟」のものとなることのみを志向し、奇蹟から逃れたものを罰することのみを思考する悍ましい奇蹟の信奉者たちとして……。

これがクヴストディア中に奇蹟の異形の怪物たちが蔓延するきっかけとなった事件です。ちなみにこの際に生じた「銀の灰」は、聖母教会の周辺のみならずクヴストディアの広範囲に降り注いだようで、ロザリオの珠「苔の硝子瓶」の伝承テキストで、「灰の混じった風」が人々を苦しめていたことがわかります。

かつての揺籃 銀の灰から起き上がる時が来た 奇蹟が私を呼んでいる

こうして、救済のために奇蹟へと手を伸ばした聖母教会の教皇は、自らの意に反して災厄なりし奇蹟の恩寵に飲み込まれ、奇蹟の意志を世界へと齎すことのみを目的とする「奇蹟の末子」として再誕したのです。最初の「奇蹟に対する私たちの懇願」への返答はなかったのに、「奇蹟が私を呼んでいる」と締めくくられる構成は、たとえクヴストディアの教皇であったとしても、人間が奇蹟を意のままにすることはできず、ただ奇蹟のみが人間を意のままにすることができるのだという理不尽さをこの上なく効果的に表現しています。

あらためて振り返ると、エスクリバーは奇蹟の最大の恩寵をその身に受けたものであると同時に、奇蹟による最大の被害者ともいえます。クヴストディアの教皇、すなわち最高権力者の地位にありながら、少なくとも彼自身に纏わる伝承からは、私利私欲のために権力や地位を濫用したという痕跡は認められません。また、聖別軍 エズドラスとその妹ペルペチュアは、孤児でありながら教皇を守護する聖別軍に所属できていたことからも、エスクリバーが出自によって人を差別することもない、平等の精神を持った人物であったことが伺えます。

しかして残酷な災厄なりし奇蹟は、それを目指した高貴な魂を自らの守護者へと変貌させ、その在り方を根本から歪めてしまいました。悔悟者がエスクリバーを滅ぼしたことは、奇蹟への最大の冒涜であると同時に、奇蹟によるエスクリバーへの魂の冒涜からの解放という二重の意味が込められていたのではないかとも思われます。果たしてエスクリバーの足跡を追い、ついに彼を打倒した悔悟者ですが、さらなる巡礼の先にて、教皇が辿り着くことのできなかった贖罪の終わりへの道を見つけることができるのか――それは、奇蹟のみぞ知ることです。

奇蹟の慈悲:無価値なる者の道

エスクリバーを倒した悔悟者が回廊の奥へと進むと、降り積もった灰が山となり、あたかも小高い丘陵を形作っているかのようでした。見上げると、その山の頂上には教皇の玉座が光に包まれています。

灰の山の頂上にある玉座を見上げる。【ブラスフェマス】
灰の山の頂上にある玉座を見上げる。

灰の山の麓では、デオグラシアスが悔悟者を待っていました。デオグラシアスは悔悟者がエスクリバーを倒したことに触れ、「そなたは聖下を苛む苦しみから解き放った」と告げます。プレイヤーの目線では、エスクリバーは悔悟者を奇蹟に対する冒涜者として滅ぼそうとする明確な「敵」としての側面ばかりが強く見えていましたが、不安定なクヴストディアの信仰の権威的中心たる聖母教会の教皇として、内心は重責を担うことへの絶え間ない苦しみを抱えていたのかもしれません。三試練による魂の聖傷を自ら受けていた点や、三仮面の助祭長たちに使命を与えて奇蹟の解明を試みていたことからも彼の苦心の跡が見え隠れします。

贖罪の終着点で悔悟者を待っていたデオグラシアス【ブラスフェマス】
贖罪の終着点で悔悟者を待っていたデオグラシアス

デオグラシアスが続けて語ることによれば、最後の聖遺物である「災厄なりし奇蹟の揺籃」は、聖下エスクリバーが奇蹟の痛みによる口付けを受けた「反転の玉座」の傍、灰の山の頂上にあります。つまり、悔悟者の贖罪の終着点は、眼前の灰の山の頂上ということです。デオグラシアスは、「奇蹟がそなたの罪深き心臓にどれだけ染み込んだかはそなたのみが知ること」という意味深な言葉を投げかけますが、そのまま奇蹟との最後の交わりへと悔悟者を促します。

もはや悔悟者の歩みを阻む敵は存在しません。意を決して悔悟者は灰の山を登り始めます。積み重なった灰の一粒一粒のきめが細かいことによるのか、悔悟者の足を支える力は弱く、斜面を登っていくのにも足を取られて時間がかかります。やっとのことで灰の山の中腹に差し掛かったかと思えば、なんと徐々に悔悟者の下半身が灰の中に沈み込んでいくではありませんか。それでも後戻りはせず、前へと進み続けようとした悔悟者でしたが、必死の足掻きもむなしく、ついには全身を灰の山の中に飲み込まれていってしまうのでした

灰の山に飲み込まれた悔悟者を見届けるデオグラシアス【ブラスフェマス】
灰の山に飲み込まれた悔悟者を見届けるデオグラシアス

災厄なりし奇蹟の揺籃、第一の奇蹟の聖遺物を目前にして、灰の山に飲み込まれてしまう終着――これが悔悟者の至った「無価値なる者の道」でした。完全に姿を消した悔悟者を見届けたデオグラシアスは、おもむろに灰の山に腕を突きこむと、中から悔悟者のカピロテ兜のみを取り出します。これも罪業を飲み込む灰の山の奇蹟によるものか、悔悟者の身体そのものは灰の山の中ですでに消滅してしまったのでしょうか。

そしてデオグラシアスがカピロテ兜を抱えて向かった先には、なんとすでに幾百にも積み上げられた悔悟者のカピロテ兜が山となっていました。抱えていたひとつの兜を、ゆっくりと兜の山に加えるデオグラシアス。彼が「そなたの贖罪は終わった」と告げると同時に世界は暗転し、荘厳な音楽とともにブラスフェマスはエンディングを迎えます。無価値なる悔悟者の贖罪は終わりを迎え、残された懺悔の剣ただ一振りのみが、灰の山の中で沈黙を守ったまま静かに埋もれているのでした。

考察ポイント③「無価値なる者の道」について

長きにわたる悔悟者の巡礼の終着は、最終目的地である「奇蹟の揺籃」を目の前にして、無残にも灰の山の中に滅び去るという惨憺たる結果となってしまいました。素朴な巡礼者であるプレイヤーからすると、苦しみの巡礼を経て迎えた結末に納得がいかない気持ちが湧いてくるかもしれません。しかし、苦労したからと言って必ずしも報いが与えられるわけではないのもまた現実でしょう。

特に贖罪の巡礼の「報酬」は、その結末にもたらされるものではなく、自らの罪悪感と向き合う苦痛の過程そのものであるとも言えます。その意味でいえば、デオグラシアスが述べたようにこれもまた「贖罪の終わり」の一つの形です。悔悟者の魂を貫き続けていた贖罪の苦しみが終わりを迎えたのですから、それを「喜ばしい」とまでは表現できないにせよ、その挑戦と完遂への敬意と哀悼がこのエンディングには相応しいものではないでしょうか。

いっぽう、この「無価値なる者の道」エンディングの描写は非常に謎めいており、いくつかの解釈が可能なものとなっています。この項目では、悔悟者の「無価値な」終着に考察を与えることで、その解像度を少しでも上げていこうとする祈りのようなものと思っていただければ幸いです。

デオグラシアス黒幕説について

まず、このエンディングにおいて生じる可能性のある「誤解」を解くことから始めたいと思います。それは、デオグラシアスが悪意を持って悔悟者を破滅へと導いた」というものです。確かに断片的な情報のみをみると、巡礼の目的地である「奇蹟の揺籃」への道を悔悟者に示したのはほかならぬ彼であり、エスクリバーを打倒した悔悟者に灰の山を登るよう促したのも彼です。この要素だけを材料とするのであれば、蟻地獄やクモの巣のように、悔悟者を破滅の道へと導き「罠にかけた」という解釈が可能なようにも思えてしまうかもしれません。

しかし、結論から言うとその可能性は限りなく低いように思われます。悔悟者自身が沈黙の贖罪を己に課しているため分かりにくい点ではありますが、あくまでも奇蹟の揺籃を目指す贖罪に身を投じたのは悔悟者自身の意志であり、デオグラシアスはその終着点に至るまでの道行きを指し示したにすぎません。デオグラシアスは奇蹟の御業の語り手ではありますが、悔悟者にとっての味方や敵というわけではなく、どちらかといえば中立の立場で、巡礼の主役・主体はあくまでも悔悟者であるというスタンスでしょう。

そのため、悔悟者が「灰の山に飲み込まれる」という可能性それ自体はデオグラシアスも認識していたでしょうが、「奇蹟がそなたの罪深き心臓にどれだけ染み込んだかはそなたのみが知ること」と発言していることから、反対に「灰の山に飲み込まれない可能性」も確かに存在し、そのどちらの道を辿るかは彼の視点ではわからず、悔悟者が実際に灰の山を登ってみるまでは白黒つけがたいものだったのではないでしょうか。そうだとすれば、最大の冒涜を成し遂げた悔悟者をあの時点で止めるのも適当ではなく、単に結果として悔悟者が「奇蹟の揺籃」へと至る資格を持ち合わせていなかったということでしかなかったのではないでしょうか。

さらに、巡礼の開始時点でデオグラシアスが悔悟者に「棘」のクエストアイテムを渡してくれた点も重要です。

巡礼の始まりに「棘」を悔悟者に託したデオグラシアス【ブラスフェマス】
巡礼の始まりに「棘」を悔悟者に託したデオグラシアス

いささか情報の先出となってしまいますが、この「棘」は「無価値なる者の道」とは異なるエンディングに至るために必要なキーアイテムです。すなわち、「無価値」ではないもう一つの結末を迎えるための鍵を、他ならないデオグラシアス自身が巡礼の初めに悔悟者に提供してくれていたわけです。これでは彼が悔悟者に対して悪意を有していたとするのは無理があるというものです。むしろ悔悟者の孤独な巡礼を、その終幕まで見届けてくれたただ一人の人物が彼なのですから、感謝こそすれ疑うのは不適当でしょう。

デオグラシアスが託してくれた「棘」を成長させることで至れるもう一つの道については、次回以降の解説記事にて考察していく予定です。

「数多に存在する無名の貌」について

灰の山に飲み込まれてしまった悔悟者という結末も驚きでしたが、さらなる衝撃だったのが、悔悟者のカピロテ兜が山のように積み上げられていたシーンです。

堆く積み上げられた悔悟者のカピロテ兜【ブラスフェマス】
堆く積み上げられた悔悟者のカピロテ兜

果たしてこのシーンは何を意味するものだったのか? いくつかの解釈を試みてみましょう。

まずは最も単純な解釈ですが、悔悟者以外にも、悔悟者と同じようにカピロテ兜を被り、奇蹟の揺籃を目指した数多くの巡礼者・冒涜者たちが存在していたという説です。懺悔の剣の心臓「単音の心臓」の伝承テキストには、反転の玉座を目指した多くの者たちが灰の山に飲み込まれていく描写があります。広大なクヴストディアには、悔悟者以外にもそれぞれの信仰心を胸に奇蹟の揺籃・反転の玉座を目指した者たちがいて、志半ばで灰の山の中へと消えていった――そして、悔悟者もそれらの「敗れた数多くの挑戦者のひとり」として、名を残すこともなく消えて行ってしまった、という解釈です。

悔悟者を「他とは違う特別な存在」と見なしていた場合の、ある種の自惚れへの痛烈な皮肉としては効果的ですが、些か斜に構えすぎな見方のような気もしています。結果的にクヴストディアに蔓延する災厄なりし奇蹟に対する解決策をもたらすことができなかったので、奇蹟に苦しみ、救済を望む人々からすれば、もはや目にすることもなく、他と区別することもできない「無価値な」敗北者となったという表現としては、その通りではあるのかもしれませんが…。

もう一つは、無数の悔悟者のカピロテ兜は、悔悟者たるブラスフェマスのプレイヤーたちがそれだけ多数存在しているというメタ的な表現であるという説です。ブラスフェマスは何といっても「ゲーム」であることが重要な作品であり、悔悟者はプレイヤー自身の分身・投影でもあるように意図的にデザインされています(悔悟者が徹底して沈黙を貫き、素顔を晒さないのもそのためでしょう)。そのため、エンディングを迎えて灰の山へと飲まれ、プレイヤーの手を離れて、プレイヤーとしての「中身」を失ってしまった悔悟者は、本当の意味で「誰でもない存在」へと成り果ててしまったという解釈です。

ここで注意しておきたいのは、「無価値なる者」という言葉はプレイヤーを指しているわけではなく、ありうる解釈としては、プレイヤーの手を離れた「悔悟者」というプレイヤーキャラクターを指しているのではないかということです。より詳しくいえば、このエンディングに到達することで、ブラスフェマスというゲームを「クリア」して、プレイヤーが悔悟者を忘れ去った時に、ブラスフェマスの悔悟者という存在は「声も意志も持たない、無名で無価値な存在」へと変わってしまうという意味です。

逆に言えば、悔悟者を「無価値」としないためには、この時点で贖罪の巡礼を終わりにはしないこと、彼を忘れずにプレイヤーの意志をふたたび注ぎ込むことが重要となるわけです。「無価値なる者の道」(Bエンディング)は、特別な条件はなくラスボスであるエスクリバー(奇蹟の末子)を倒せば到達できるため、最も多くのプレイヤーが辿り着くエンディングとなっています。そしてそれは、デオグラシアスが示唆したように、「奇蹟のなすがまま」となる結末でしかありません。異なる景色を目にしたいのであれば、今度は奇蹟の意志が敷いたレールの上ではない、悔悟者たるプレイヤー自身の強い意志で見定めた道筋にて、巡礼を進めていく必要があるのです。

そして、「悔悟者の巡礼タイムループ説」です。すなわち、悔悟者は今回初めて灰の山へと挑戦したのではなく、それまでにも幾度となく奇蹟の揺籃を目指し、そして結果として灰の山に飲み込まれて消え去ってしまった――うず高く積み上げられた無数のカピロテ兜は、すべて同じ悔悟者のものであり、無限に近いループの中で積み上げられた失敗の痕跡であった、という解釈です。

この解釈は、奇蹟が蔓延するクヴストディアの特殊な時間の流れの描写を基礎としています。かつてアルベロティルソが悔悟者に語ったように、クヴストディアは奇蹟の影響で時の流れが異常なものとなっています。

ティルソが語る、クヴストディアの時の流れの異常さ

終わりなき黄昏山脈のように、完全な日没も新しい日の出もなく、永遠に黄昏時が持続するなど、一方向に時間が流れているわけではないということでしょう。そしてティルソ曰く、贖罪の巡礼を果たす悔悟者のみがこの時の影響を受けないということから、悔悟者の巡礼のみが、クヴストディアの世界に生きる人々が体感する時間とは独立したタイムラインを形成していることが推察されます。

これは、ゲーム上のゲームオーバーの描写時にも意識されることで、おそらく悔悟者が死亡して祈祷台で復活する際には、死亡後の続きの時間から復活しているのではなく、一定程度時間が巻き戻った状態で復活していると思われます。クリサンタに一度でも敗北して死亡したプレイヤーなら覚えがあるでしょうが、彼女が述べ立てるボス戦開始時の口上は、再戦時に何度も同じ内容が繰り返されます。つまり、クリサンタの視点では、その言葉を悔悟者に投げかけるのは常に「初めて」であるということ、悔悟者たるプレイヤーのみ(あるいは奇蹟、そして奇蹟の語り手であるデオグラシアス)が、繰り返される時間を繰り返されたモノとして認識できるということなのです。

いわば、悔悟者が灰の山に飲み込まれるという出来事は、悔悟者の巡礼の終わりであると同時に、再び悔悟者が贖罪の巡礼を開始するためのループの起点でもあるということです(悔悟者が死亡時に直前の祈禱台に戻るタイムリープを、ループの形でより大規模に実現させたものというイメージ)。そのループの終着点で、奇蹟の影響を(ある程度)受けない悔悟者のカピロテ兜が、ループの存在を証す痕跡として残り続けているという描写が、「無価値なる者の道エンド」なのではないでしょうか。そのループを実現しているのは、ほかならぬ奇蹟そのもの、あるいは、悔悟者が手にした懺悔の剣に込められた歪んだ者(父なる神)の意志であるのかもしれません。そしてこのループを打破することこそ、この終わりを認識したプレイヤーに与えられた真なる使命だといえるでしょう。

また、これは作劇上の妙についての個人的な解釈コメントですが、巡礼の最初、悔悟者が『黙する悲哀』兄弟団の同胞たちの遺体の山の中から一人立ち上がるという始まりの描写から、巡礼の終着地点において、悔悟者の遺体の代わりともいえるカピロテ兜が、かつての同胞たちの遺体を想起させる兜の山の中に加わっていくという締めくくりは、始点と終点が円環的に繋がっている見事な構成というほかありません。同胞の死に囲まれた状態から始まった悔悟者の孤独な巡礼の贖罪は、最終的に同胞たちとおなじ死者の列に加わることで幕を閉じた――これもまた美しい終わりの一つです。これを「無価値」と断ずることが果たして誰にできるでしょうか。あるいは、これが無価値であるのならば、「価値のある」ということ自体が空しい一時の夢でしかないのかもしれません。

いずれにせよ、最後に残された懺悔の剣のカットは、「まだ本当の意味での贖罪は終わりを迎えてはいない」ということの象徴にほかなりません。もしも悔悟者たるプレイヤーが「無価値」である終わりに甘んじないのであれば、再び贖罪の巡礼を開始し、さらなる苦しみを乗り越えていくことによって、新たなる道が切り開かれていくことでしょう。

解説の続き

本解説の続きの記事は「再奏:真なる苦悶――石化した風鈴草と情熱のアマネシダ」を予定しています。

公開まで今しばらくお待ちください!

それではいつかまた、夢の向こう岸で…

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ブラスフェマスにおける悔悟者の巡礼を振り返るSTORY AMV(MAD動画)を公開しました! ※真エンドまでの重大なネタバレを含みますので、視聴にはご注意ください。

MAD動画のシーン選定・編集の背景解説は下記の記事でもまとめています。

考察の振り返りなどにご一読いただけますと幸いです。

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